第858回談話会要旨(2011年9月10日=公共民俗学とはなにか:社会における知的実践のかたち)

※『日本民俗学』269号より転載しました。引用等につきましては「日本民俗学会ウェブサイトご利用上の注意」をご確認ください。

基調講演
ロバート・バロン「アメリカの公共民俗学 ―その課題と実践、そして展望―」
パネリスト
菅 豊「公共民俗学 ―社会における民俗学の再定置―」
吉村亜弥子「ウィスコンシン州の公共民俗学実践とその教育」
コメンテーター
小長谷英代、橋本裕之
コーディネーター
菅 豊、小熊誠

趣旨

 公共民俗学(Public Folklore)は、現代アメリカ民俗学の重要な方向性である。それは1980年代から本格的に存在感を増し、いまではアメリカ民俗学の大きな潮流の一つとなっている。それは、古くは芸術や文化、あるいは教育などに関する非大学の組織や機関での、応用的見地からなされる民俗学的な研究や活動を意味していたが、現在では公共機関の専門家のみならず、大学の研究者や在野の研究者、市民なども協働する民俗学的活動に発展している。それは「伝統の担い手と民俗学者、あるいは文化に関する専門家との協働的な取り組みを通じて、コミュニティ内部、あるいはコミュニティを越えて表れる新しい輪郭線と文脈のなかにある民衆伝統(folk traditions)を表象し応用する」〔Baron and Spitzer 1992〕民俗学であるといえる。公共民俗学では、具体的な社会実践のみならず、「擁護(advocacy)」や「文化の客体化(cultural objectification)」「介入(intervention)」「文化の仲介(cultural brokerage)」といった、民俗学が文化を考える上で重要なキーワードを再検討する理論研究も展開されてきた。それらは、社会実践を含め、日本の民俗学にも通底する重要課題となっている。

 今回、アメリカ公共民俗学のオピニオン・リーダーの一人であるロバート・バロン氏を招請し、その基調講演を中心に公共民俗学の具体的論点、社会実践の実態、今後の展望、そして日本民俗学における公共民俗学の可能性について討議する。

基調講演の概要「アメリカの公共民俗学 ―その課題と実践、そして展望―」

ロバート・バロン

(原題:American Public Folklore: Issues, Practices and Prospects)

 世界の至る所で、民俗学という学問は、確立された一つの学問分野としての地位を問われ、窮地に追い込まれている。アメリカの民俗学は、他の国と同様、さまざまな課題と直面しつつも、いかなる文化を保持するグループであっても、またいかなる社会階層のグループの伝統であっても、その研究対象に含むべく学問の視野を拡大したり、民俗文化をパフォーマンスやテキストとして捉えたり、さらには学問の学際化を図ったりしてきた。また、アメリカ民俗学は、周辺的な学問に留まっているものの、公共民俗学を成長させ発展させることにより、民俗学の分野全体を学界外に拡大させ、民俗学者が活躍する新しい選択肢を広げてきた。

 かつては、アメリカの大学に籍を置く学者が、公共民俗学や応用民俗学(applied folklore)の価値や正当性に疑問を投げかけることもあったが、今日では公共民俗学は、より大きい民俗学というディシプリンの一分野として組み込まれている。また、現在では、公共民俗学の理論と実践は、民俗学に関連するほとんど全ての大学院で教育されている。公共民俗学に関する表象や媒介、客体化、文化の仲介、介入、文化政策といった課題は、民俗学全体としても重要な課題と見なされてきているのである。そして、公共民俗学的活動は、私たちの研究する伝統文化の維持に役立つとともに、民俗学の大学教育や研究の枠を超えた、民俗学研究の普及を可能にするものでもある。

 「公共民俗学」という言葉は、1950年に興った応用民俗学や、1970年代以降に急成長をみせた公共部門の民俗学(public sector folklore)などに対して、1980年代後半になって適用されたものである。アメリカでは、1970年代から1980年代にかけて、多くの公共民俗学のプログラムが作られた。しかし、公共民俗学と応用民俗学の活動の一番大きな波は、1930年代の大恐慌時代に、公共事業促進局(the Works Project Administration)の連邦作家プロジェクト(the Federal Writers Project)のために、民俗学者が、地域や民族の伝統を収集し出版する全国規模の取り組みとして起こった。また、1950年代から1960年代にかけて、民俗文化への一般市民の関心が高まるなか、ベンジャミン・A・ボトキン(Benjamin A.Botkin)やアラン・ロマックス(Alan Lomax)らが、応用民俗学者として、いまでいう公共民俗学の先頭に立った。ボトキンは大衆向けのフォークロアの書籍を出版し、ロマックスは、フォークソングに関する書籍、さらに蓄音機を使っての録音、そして伝統的なアメリカのフォークシンガーを取り上げたラジオ放送などを通じて、その存在が広く知られることになった。

 しかし、アメリカにおいて民俗学を独立した学問として発展させた重要人物である、リチャード・M・ドーソン(Richard M.Dorson)を中心とする一部の民俗学者の間では、応用民俗学は、プロフェッショナルな民俗学者の仕事としては不適切であるとする反対意見も上がった。このような反対意見を受け、応用民俗学者らは疎外感を感じ、アメリカ民俗学会(the American Folklore Society: AFS)や民俗学の専門職から離れていった。ドーソンは応用民俗学を、ナチスドイツやソビエト連邦の極端なケースと結びつけ、イデオロギー操作と関連づけた。アメリカの公共民俗学の中興の祖といえるアーチー・グリーン(Archie Green)によると、1970年に開かれたアメリカ議会図書館の米国フォークライフ・センター設立のための議会公聴会において、ドーソンは、民俗学者たる者は擁護者(advocate)でありつつ、かつ公平な立場をとれる学者であることは不可能であり、制度や政策方針を作り直すことに関与すべきではなく、また「運動家(activist)」ともなるべきではないと述べたという。そして、ドーソンは公共部門で働く民俗学者は、「学者としての格を落とす」とまでも述べ立てた。

 それにもかかわらず、公共民俗学の前身となる応用民俗学は1970年代半ばには、正当な活動として広く認められるようになった。例えばデル・ハイムズ(Dell Hymes)は、1974年のアメリカ民俗学会会長演説で、応用民俗学の多くは、それが関わる伝統の正当な一部分であるし、パフォーマンスの新しい状況への適応の一部であると述べた。つまり彼は、民俗学者が、自分が研究する伝統をプレゼンテーションする義務があると感じたわけである。そして、彼は、博物館などにおける「鍵のかかった保管室」で箱詰めにしておくといった形のプレゼンテーションとは異なる、プレゼンテーションの自然な終結点に辿り着いた。それは、人びとと「コミュニケーションを通じて(in communication)」行うプレゼンテーションである。

 1970年代初頭には、民俗学者による公共民俗学の需要の高まりを反映して、アメリカ民俗学会に応用民俗学委員会(Committee on Applied Folklore)が設置された。それ以前には、応用民俗学は、多くの実践家たちによって、社会改善のための手段として見なされていたが、いまではこの委員会によって、それは「アカデミーの壁を越えた領域での民俗学者の通例の活動(リサーチ・現地調査・出版と教育)の拡大、とくに教育」とさらに細かく定義されている。

 そのような公共民俗学の発展のなかで、私とニック・スピッツァーは、公共民俗学を次のように定義している。

 民俗伝統の担い手(tradition bearers)と民俗学者、あるいは文化に関する専門家との協働的な取り組みを通じて、コミュニティ内部、あるいはコミュニティを越えて表れる新しい輪郭線と文脈のなかにある民衆伝統(folk traditions)を表象(representation)し応用する

 アメリカの公共民俗学は、公共的なプレゼンテーションやその他の取り組みを通じて民衆伝統を表象する。民衆伝統を表象するプレゼンテーションの方法は、フォークライフ・フェスティバルや、メディア企画、講演・実演会、展示会、文化観光プロジェクト、学校教育用の民俗文化と教育プログラム、そしてインターネットのウェブサイト作成などに及んでいる。

 これらのプレゼンテーションは、新しいコンテキストのなかに生起している。それらは、民俗が慣習的に実践されてきたコミュニティのなかの舞台設定や行事から、再コンテキスト化(recontextualization)されるのである。つまり、これらのプレゼンテーションは、基盤となる伝統の慣習的実践に基づきつつも、一方で新しいコンテキストのなかで、公共的プレゼンテーションのために再構成された「新しい輪郭や形(new shapes and forms)」を備え、元のイベントとは異なる枠組みをもっている。

 公共民俗学は、伝統を実践してきたコミュニティのなかで、伝統の維持や活性化を目指す人びと、あるいは他者の民俗文化を体験することによって異文化を学ぼうとするさまざまなコミュニティの人からなる一般聴衆などに向けて展開される。公共民俗学者は、そのプログラム設計において、コミュニティと協働(collaboration)する。そして、彼ら彼女らの伝統が、どのように表象されるのかという点について、コミュニティのメンバーの意見や見解を組み込んでいく。そして、ともに活動するコミュニティとは、上から下へ押し付けるようなトップダウン式の関係ではなく、責任や責務を分かち合い、話し合いや協働を通じて相互的な関係を築くように努めている。

 公共民俗学は、民俗学者や文化に関わる専門家によって媒介されたコミュニティの表象に関わる問題である。公共民俗学者は、コミュニティと文化的機関、また政府機関やアカデミックな領域、さらに新しい聴衆の間を媒介することによって、表象するコミュニティの利益を促進し、それらの介入を通じて伝統を保護するように努力する「文化の仲介者(cultural brokers)」として活動する。公共民俗学者は、介入の影響がもたらす伝統への不可避の変化を意識しつつも、協働を通じて介入の度合いをバランスよく保つように努力するのである。民俗学の概念や研究方法は、非アカデミックな一般市民へ流布していくなかで応用される。また、ここでの「応用(applied)」という言葉は、医療、公共政策、教育、難民支援サービス、ツーリズム、歴史保存など、コミュニティの社会的向上の場における民俗の利用をも意味しているのである。

 アメリカでの公共民俗学の分野は、すでに民俗学的専門職のなかに全体が統合されている。アメリカ民俗学会会員の半数以上は、公共民俗学者としての自己認識をもっているし、長い間、アメリカ民俗学会のリーダーに公共民俗学者が含まれるようにもなってきている。私も含め、多くの民俗学者は、自らが(公共民俗学の)学者でもあり実践者でもあると自任している。大学機関に勤めるアカデミック民俗学者は、頻繁に公共民俗プロジェクトに携わっているし、多くの公共民俗学者は民俗学の講義を大学などの機関で行っており、全体として民俗学というディシプリンの学問を形成しているのである。

 また、公共民俗学の理論と実践についての研究は、アメリカのほとんどの大学院課程のカリキュラムの一部分となっている。それに関する文献は、民俗学一般のコースの課題や学位修得までの必読文献に含まれており、また、種々の大学で公共民俗学専門のコースが開講されたりしている。

 アメリカの民俗学者は、批判的学問と能動的関与という双方の観点から見て、公共民俗学を適切な活動領域と見なしている。そして、公共民俗学者が代表する機関について研究すると同時に、公共民俗学者が伝統の行為者やコミュニティにもたらす介入や相互交流、さらに、その影響についても研究している。また、公共民俗学者は、民衆伝統の保護に運動家として関与すると同時に、自分たちの活動やその社会的価値、そしてそれが伝統文化の未来にもたらす影響について再帰的で内省的な自己評価にも関与している。すなわち、アメリカの公共民俗学者は、民俗学研究において研究する「主体(subjects)」であるとともに、研究される「客体(objects)」でもあるのである。

 日本は、無形文化財保護のための画期的な法的枠組みと、地方の伝統の行為者やその支援団体への広範にわたる政府のサポートのおかげで、伝統文化の維持に最も成功している経済大国である。アメリカではそのような法律が未整備であるため、地域の伝統文化の支援団体の維持にはあまり成功していない。しかし、公共に向けて民俗文化を提示するための画期的なアプローチを創出することに成功し、民俗学に関連する専門的職業のなかに公共民俗学をひとつの主流分野として創出し、そして、公共民俗学の理論と実践に関する広範な学問的知識を生産してきた。その点から鑑みて、アメリカと日本は相互に学ぶべき点が多く、今後両国の民俗学者の間で、公共民俗学の課題や実践についての対話がなされるべきである。

《参考文献》
Baron,Robert and Spitzer,Nicholas R.eds. 1992. Public Folklore. Washington : Smithsonian Institution Press.