第852回談話会(2010年9月20日=オーラルヒストリーと〈語り〉のアーカイブ化に向けて)

※『日本民俗学』265号より転載しました。引用等につきましては「日本民俗学会ウェブサイトご利用上の注意」をご確認ください。

総会報告

岩本通弥

 ドイツ・ハンブルグ大学民俗学研究所のアルブレヒト・レーマン(Albrecht Lehmann)教授とカリン・ヘッセ(Karin Hesse-Lehmann)博士を招聘し、同研究所で1986年から構築されている〈日常の語り〉アーカイブの内容紹介を中心に、日本側の各領域のディスカッサントも交えて、表題の国際シンポジウムを開催した。

 日本民俗学会国際交流事業の一環として行った本シンポジウムの目的は、第一に、諸外国の学会と協力関係を築いていこうとするプロセスで明らかになった問題点として、諸外国における「民俗学」との乖離を埋めることにあった。自らの、自国や自文化の生活文化≠中心に研究を進めている他国の学会が、必ずしもフォークロア(民俗学)という名称を与えてはおらず、特にほかの国々でfolkloreといえば、昔話や伝説などの従前からの説話研究の方法や研究蓄積を活かして、専らオーラリティ(Orality=口頭性)やパフォーマンスを重視した研究を行うことが前提となっている。一方、日本の民俗学の場合、1958年から成城大学と東京教育大学で専門的な民俗学教育が開始されるが、アカデミズム化していく過程の中で、おそらく主として文献史学との関係からだろう、オーラリティ(聞書きによるオーラル・データ)が、文書資料や集合的慣行の証拠力に比べて、「主観的で曖昧なもの」だとして、排除されるという特異な展開を辿っている。それを物語る最も象徴的な出来事が、戦前、柳田國男との共著で入門書まで刊行した理論家であり、説話研究の泰斗でもあった関敬吾が、この日本民俗学会から「排斥」されていったことだろう。1965年の年会公開講演を最後に、本学会からは一切、手を引くや否や、日本民族学会の会長となった関は、その後、自身の研究を口承文芸に特化させ、民俗学一般の議論は慎むようになる。さらに、その関を中心に1977年、日本口承文芸学会が発足すると、本学会においては、口承研究やオーラリティ自体が軽視される方向に拍車がかかっていく。本シンポジウムには、現代ドイツ民俗学の一つの取り組みを媒介に、オーラル・データの意義を再考し、本学会におけるオーラリティの復権を図る意図も含めている。

 今回、招聘したレーマン教授は、現代ドイツ民俗学の中でも、特にオーラル・データやナラティヴを重視し、その追究を徹頭徹尾されることで、それを通じて「意識分析」という新たな方法や課題を先鋭的に提示する、この領域における第一人者である。『森のフォークロア―ドイツ人の自然観と森林文化』(法政大学出版局、識名章喜・大淵知直訳、2005)という邦訳もある同教授は、村人の日常会話を分析した学位論文『ある労働者村の生活』(Stuttgart, 1976)以来、教授資格論文の『語りの構造とライフコース―人生・自伝研究』(Campus, 1983)や『捕虜生活と帰郷―ソ連のドイツ人戦争捕虜』(C.H.Beck, 1986)、『心ならずも異国を棲家として―1945〜1990年西ドイツの難民と故郷追放者』(C.H.Beck, 1991)といった一連のオーラルヒストリー研究を経て、近年では邦訳版の原著『人間と樹木―ドイツ人とその森』(Rowohlt, 1999)や『経験について話すということ―語りの文化科学的意識分析』(Berlin, 2007)などのように、〈日常の語り〉の説話形式の分析から、「意識分析」という方法論の構築を積極的に取り組まれている。同教授の主導により設立された〈日常の語り〉アーカイブは、それまで同研究所で継続されてきたオーラルヒストリーを中核とする複数のプロジェクトの研究過程で生まれた、インタビュー資料〔30,000頁トランスクリプト/約1,500時間/550件のインタビュー/エゴ・ドキュメント〕を集積化したもので、質的インタビューの録音テープの徹底的なトランススクリプト化によって、民俗学のみならず、歴史学・社会学・心理学・言語学・文学・教育学などの研究者によっても、研究素材として活用され、既に30冊以上の学術的書籍が出版されている。

 その技法も含めた厳密で厳格な方法的手続きは、民俗学に限らず、日本でも始動しはじめた歴史学のオーラルヒストリー研究や、先行する社会学の現象学的ライフヒストリー研究、さらには質的心理学など、日本においてナラティヴ・アプローチを志向する研究者にとって、極めて参考になる研究であり、同教授の研究を基軸に、日本でこれまで別個に展開してきた各学問分野のナラティヴ研究を、領域横断的に話し合う場を設定することを第一義とした。

 基調レクチャーとして、レーマン教授の「意識分析とオーラルヒストリー資料・オーラルナレーションのアーカイヴ化」では、ドイツにおけるオーラルヒストリー研究の展開から、説話研究とアーカイブ化に至る過程や、また記憶とアーカイブ化に関する省察点が論じられた。ドイツのオーラルヒストリー研究はアメリカにおける同運動の影響のほか、1968年学生運動の政治的文脈の中で生まれた「下からの歴史記述」が基礎となったが、前者の著名なエリート中心の証言としてのインタビューと同様に、厳密な社会科学からの批判によって、後者におけるロマン主義的に理想化される「党派性」も問い質された。すなわち民間のオーラルヒストリー運動に加わった「草の根の歴史家」の多くは、地域や村における道徳的な善を求め、特に国民社会主義時代の不正を言あげ、糾弾することに目的があったり、「ドイツ労働者」のロマン主義的な願望イメージが、工作場の汗の臭いや貧困や抑圧、男性的な身体言語や居酒屋儀礼・協会儀礼の中の連帯と抵抗といった特別な説話形式に、表出していると批判された。一方、こうした批判を表明したのは、公文書の分析を重視する歴史学者や統計的な量的研究を活用する社会科学者だったが、インタビューという主観的原資料に対して向けられた疑義は、公文書や統計という信頼できるとされた資料にも向けられ、それらは官僚的関心から産出されたものだとして、ドイツでは1999年より統計資料の基となった「アンケート・データのアーカイブ化」も進められているという。

 このような批判的検討の段階を経て、現在、一般的に認知されているのは、経験史的あるいは心性史的な研究は、客観的に所与の諸構造の研究ではなく、歴史における「主体性」の探求にあるということである。特にオランダで確立した「エゴ・ドキュメント」研究が明示したように、こうした記録は、個々人の人生を、他の人びとに対し正当化し、人間的な不安を吐露し、知識の在り様を明らかにし、価値観念を示唆し、生の期待と経験を反映し得るものだと了解されているが、歴史科学諸学の学際的な文脈の中で反省を重ねた実践的な、このような学術史的展開において、民俗学の最も重要な貢献は、ライフコース研究に関する民俗学的ナラトロジーの研究によってもたらされた。時代の証人-想起の歴史的資料価値(証言の事実内容)を常に重視する歴史家の科学とは違って、ホモ・ナランス(語り手としての人間)を認識関心の中心に置く民俗学は、語られる物語の「事実性」についての問いは二義的であって、文化科学として現実的な生活世界の中の人生の経験と人間の意識についての認識に貢献するとされる。

 人間は物語の中で自己を表現し、世界の解釈を絶え間なく言葉で表現するが、現在を含めてどんな時代でも、その時代の語りの文化がある。「意識分析」研究は、語られた生活史は時代的立脚点から構成された全体物として、個々の物語(個人的次元)と分離可能な「大きな説話」(社会的次元をもつ物語)が対象化される。自らの人生を語るには、生きられた人生の時間の「形式的組み立て」を必要とするが、その洗練された想起、つまり出来事の個人的な選択や語られた生活史の組み立てから、不可避的に形成される「語りの準線」が導かれるとし、1970年代後半、民俗学研究所で、86件の60歳前後の男性の非公開の生活史を収集した以降、ドイツ学術振興会(DFG)の助成を受けて立ち上げた10件のプロジェクトの中で、そこで成立したテーマと問題設定に、積極的に語られた生活関連事項を選んだのは、これら特定の出来事がインフォーマントにとって、生活史的な方向付けのポイントになるからだとされる。

 今日、アーカイブ技術の進展で、時代の証言が、以前のように全く消え去ることはなく、多様な形の長期的なメディアによって生き続けるが、それゆえ説話研究は、過去の現実を再構成する場合には、想起説話の解釈以外にも、録音テープのアーカイブズ、特に写真、物質文化の対象物も保存される。しかし、特定の日に採集された物語や意識形式の記録にほかならない説話研究による録音が、当然、過去の日常の思考を追跡調査するための、極めて重要な原資料であることに変わらず、また今日、説話研究の問いは、「文化的記憶」の現在的な議論、主観的時期区分や人々の歴史的時代経験への問いで占められる。差異化した「想起の様式」に対する視点を提案したヤン・アスマンは、「コミュニケーション的記憶」と「文化的記憶」を区別したが、3〜4世代、つまり「時代史」の「直接的経験の地平」を含んだ前者は、時間経過によって、メモラートが伝説になるように、書字、図像、モニュメントなどによって保存される後者に移行する。口頭の語りの中で歴史は、それに人々が関心を持つ時、規則的に、世代を越えて伝説的・神話的物語へと語り換えられる。そうした物語では、家族の思い出や村物語、近隣物語の形をとって、過去が影響を及ぼし続けるが、そのアーカイブ化は、世代が変わっていく中での意識形式の変化への洞察を得ることもできると論じられた。

 以上の基調レクチャーに引き続き、レーマン教授の補足的レクチャー「なぜ個人的な日常の説話をアーカイヴ化するべきなのか―考察と事例」では、アーカイブ化の意義は、公的には一般の人びとが学術的分析の実証的根拠を利用する道を開くことと、個別的には学術的出版物の受容者が、研究者がどのような道を辿って、その調査状況から、典型的な行動様式や意識形式についての結論に至ったかを、追検証できる機会を与えることだとする。加えて、再度、家族史、心性史にとっての意義をいえば、「アーカイヴ化された」時代の証言や語られた物語(歴史)が、子孫たちが「世代間の語り」の中で、発展的に得た体験や見解を知ることで神話化のプロセスを追究できることだとした。

 ディスカッサント報告(1)として、カリン・ヘッセ博士の「ドイツにおけるエゴ・ドキュメントに関する学際的議論の文脈におけるハンブルク『日常の語り』アーカイヴ」では、ドイツにおける各種の資料アーカイブ化の現況が紹介され、生活史的インタビューを扱ったハンブルク・アーカイブの位置づけや、具体的な集積の技法、またインタビュー資料を4〜5名のプロジェクトメンバーによる全体討議で、いかに分析してデータ化していくかなどについて、テクニカルな側面を中心に、画像を用いて詳述された。

 ディスカッサント報告(2)として、日本においてライフストーリー研究を牽引されてきた小林多寿子氏(一橋大学)の「オーラルヒストリーとアーカイヴ化の問題―社会学からの議論」では、1970年代に、同時代的現象として、社会学サイドでもヨーロッパに限らず日本においても、ライフヒストリー研究が開始されるが、その際に見られる「人間主体の転換」や「個人への着目」という認識論的な並行性の意味が問われた。またオーラルヒストリーが、現在、オーラルな語りを研究の素材として用いる人たちを結ぶ多領域横断的な言葉になりつつあること、さらにはドイツと日本の「アーカイヴ風土」の相違や、日本における調査と各種のアーカイブ化の試みや現況、またその必要性を、全国各地の具体的取り組みを多数挙げつつ詳論された。これに加えて、「ライフストーリーのディレンマ」として、個性的個人を照射する一方でプライバシーを守ることが求められる研究上の難題を、第三者がアクセスしたり二次利用もありうるとするアーカイブ化では、どのようなルール化がありうるのか、今後の検討事項として問題提起された。

 ディスカッサント報告(3)は、アカデミズム歴史学の中で、口述史データを最も積極的に、かつ堅実に蓄積化されている、中国史の佐藤仁史氏(一橋大学)・太田出氏(兵庫県立大学)による「中国近現代口述史における『語り』とオーラルヒストリー資料」であった。中国史研究における口述調査の系譜が概観され、自らの研究グループで継続されている太湖流域社会における口述調査を位置づけつつ、中国農漁村の「日常」を規定している社会構造、社会関係及び規範意識の解明に、その関心があることが示された。また語りの類型を、(1)解放前の村落社会の「コミュニティの語り」、(2)文化大革命時期に人々を支配した「革命の語り」、(3)改革開放期以降における「改革開放の語り」の3つに分け、事例に則して紹介されたが、レーマン教授の言及した「事実性への問いの除外」に対し、社会経済史的アプローチによる研究では、そこに何らかの現実性の反映を読み取ろうとすること、「仏娘」と呼ばれる憑依型シャーマンの例を挙げながら、状況証拠からも荒唐無稽な「語り」を解釈することで、一定程度の時代状況、社会状況を読み取ることも可能だとする対論も示された。

 これらのレクチャーとディスカッションに対し、日本の口承文芸学の立場から山田厳子氏(弘前大学)が、また日本近現代史の原山浩介氏(国立歴史民俗博物館)が、専門領域との関連からコメントを加えた。山田氏は「談話の形式」「談話の場」「アーカイブ化の意義」の3つの論点があるとした上で、「談話の形式」について、「世間話」と呼ばれる「日常の中の話」に着目した柳田は、「書かれていない」=「記録に残らない」=「歴史にならない」ということに対する「問い」があり、私たちを拘束する文字の持つ権力性から、「書かれたもの」からの発想やものの捉え方を批判したとする。彼は「日常の中の談話の形式」を、一方が長いストーリーを語り、一方が黙って、もしくは相槌を打ちながら聞くという談話の形式=カタリと、双方が比較的簡略な内容を、交互に発話する形式=ハナシに区分したが、即興性の高く創造性の高いハナシという形式を評価しつつも、焦点はハナシが「型」に陥りがちなことに対しての批判であって、換言すれば、ある程度以上の長さのストーリーを語るには、既存の「型」が有効な手段だとする理解でもあったと指摘した。また〈日常の語り〉のアーカイブ化は、記録者の意図していない「日常」も記録に留めることになり、それは「調査」という研究者の「日常」と、その歴史を問う材料になるとする考えも示された。

 日本史学の領域から論点を補充した原山氏は、膨大な蓄積のある沖縄戦のオーラルヒストリーを例にとり、行政文書には残らない、「証言」(testimony)と呼ばれる形によって、繰り広げられている近年の研究状況の、その問題性を整理した。従来、歴史学者の関心は、沖縄戦を成り立たせた全体構造の解明で、どのような権力作用が介在していたかを解明することに中心的課題があったが、その全体像を見いだす上で、確かにオーラルヒストリーの蓄積は有用だったにせよ、全体構造の描写にとって、解釈可能な、ごく一面でしかないにも拘らず、語られた言葉を、事実性と直結させるナイーブな思考回路が介在している現状に批判を加えた。例えば集団自決に関して、住民たちは自ら進んで命を絶ったのだという内容を持つオーラルヒストリーの言葉尻に依存する形で、軍や政府が戦時に有した暴力性を否定しようとする論者もある一方、その裏返しで、個別の語りを、あたかも行政文書を引用するかのように根拠に置くことで、全く逆のことを立証したがる研究者もいる。話者の立場性に対して、より鋭敏な感覚を持ちつつ、社会史としての分析手法を確立することが、日本の歴史研究に強く問われていると総括した。

 以上の登壇者の発表をふまえ、質疑応答・全体討議では、会場から各発表者に対する個別的な質問のほか、ハンブルグ・アーカイブのテクニカルな手続きや具体的な技法、プライバシー保護の問題、また調査における研究者と被調査者との権力関係に関する問題など、議論は多岐にわたったが、全体討論を含む今回のシンポジウムの報告書は共催の成城大学民俗学研究所・グローカル研究センターから刊行される予定であり、詳しくはそれを参照されたい。また質疑応答・全体討議の司会は、中野紀和氏(大東文化大学)と門田岳久氏(日本学術振興会/関西学院大学)が務めたが、なお、本稿の文責はコーディネーターの岩本にあり、発表者の発表趣旨を岩本の理解の範囲でまとめたものであり、内容の紹介に漏れの多いことも断っておく。