第863回談話会要旨(2012年7月8日=海外研究者がみた日本というフィールド:アメリカ研究者編)

※『日本民俗学』272号より転載しました。引用等につきましては「日本民俗学会ウェブサイトご利用上の注意」をご確認ください。

コーディネーター
菅 豊(東京大学)「アメリカ民俗学の日本研究のアウトライン」
パネリスト
Michael Dylan Foster(インディアナ大学)「『甑島のトシドン』における見る/見られる/見せる関係の一考察」
谷口陽子(専修大学)「米国人研究者による戦後日本研究にみる日本というフィールド」
コメンテーター
桑山敬己(北海道大学)
共催
現代民俗学会、東京大学東洋文化研究所班研究「東アジアにおける「民俗学」の方法的課題」研究会
備考
パネル発表、討論等は日本語で行われた。

趣旨

 日本民俗学が、一つの学問分野であるとするならば、それは本来、日本「民俗学」、すなわち、日本において「民俗学」という方法を用いて研究する学問分野であるはずである。しかし、現実には、それは日本研究に重心を置いた「日本」民俗学としての色彩を強く帯びてきた。その研究対象や方法は「日本」という場に強く規定されており、また「日本」というフィールドも、その学問のなかでは所与のものとして扱われてきた。一方、日本というフィールドは、日本人研究者だけによって独占されてきたのではなく、実は日本の民俗学研究者の知らないところで、多くの海外研究者たちによっても考究されてきたのである。しかし、それらの研究内容や方法、知見というものは、日本民俗学のなかではほとんど顧みられることはなかったのであり、日本研究をめぐって切断された二重の研究世界が構成されてきたのである。本シンポジウムでは、アメリカ民俗学者や文化人類学者の日本研究の具体例を検討し、その研究の方向性と日本民俗学における研究の方向性との異同を明らかにし、今後の海外における日本研究との相互交錯の可能性について展望する。

「甑島のトシドン」における見る/見られる/見せる関係の一考察

Michael Dylan Foster(インディアナ大学)

 2009年に日本の伝統13件が、ユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載された。そのうちの一つが鹿児島県下甑島で大晦日に行われる「甑島のトシドン」である。トシドンとは子どもの教育や躾のために代々伝えられて来た大切な年中行事である。私は日本の民俗学専門のアメリカ人フォークロリストとして1999年から頻繁に下甑島を訪れ、島の人々と対話をかさねながらトシドンや島の生活を研究して来た。また今年は5ヶ月間ほど島に住み、日常生活の調査を行っている。本発表では、トシドンのあり方を紹介し、特に行事の中で機能している「見る/見られる」関係を考察する。この関係を探りながら、島の現在の状況(子どもの減少等)、またユネスコや観光の問題も論じ、とくに、視覚的想像(optic imaginary)という新しい概念を発展させる。最後に自分なりのトシドンの研究の経験を例として、アメリカ民俗学者が観察する日本というフィールドや、日本でのフィールドワークの意味や課題などについて考えてみる。

米国人研究者による戦後日本研究にみる日本というフィールド

谷口陽子(専修大学)

 日本という研究のフィールドは、海外の研究者にいかなる学術的あるいは個人的経験をもたらす場となってきたのだろうか。本発表は、私が2003年より学史研究の視点から研究している、ミシガン大学日本研究所の研究史を手掛かりに論じる。ミシガン大学日本研究所は、1947年にミシガン大学に創設されて以来活発な研究活動を展開する米国の日本研究の一大拠点である。1950年から1955年までは、戦後日本の社会構造や人びとの意識変容の萌芽を捉える調査研究を行うべく、岡山市内にフィールドステーションを設置し、地理学、歴史学、政治学、人類学などの教授および大学院生が研究活動に従事した。戦後まもない時期に行われた彼らの調査研究は、対象地域の人びとや現地の日本人研究者との密接な相互関係を重視したものであったことは注目される。本発表では、彼らが岡山さらには日本というフィールドをいかなる「場」として認識あるいは眼差してきたのかを論じ、日本をフィールドとする民俗学的研究の現代的課題や意義について考察してみたい。